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願望
「私が望むのは、考えられるすべてのものを捨て去り、考えの及ばない物事を愛の対象として選ぶことである。なぜなら、確かに神を愛することはできるが、神を考えることはできないからだ。」 現在に存在することは、愛の状態にあることに似ています。その他に重要なものはないように思えます。それほどの喜びで心を満たし、またこのはかない存在にそれほどの意義をもたらすものは他にありません。自分に捉われている状態から、自然でありながら予想もしなかったような無自己、寛容、親密さといった資質へと導くものは、他にありません。愛の状態において、人は眠らず、普段の食べ物には食欲も湧きません。人は細かいことに、出来事に、そして瞬間にたいして敏感になります。それらは以前にはありきたりだったり、習慣的だったり、平凡だったものです。愛の状態において、人は興奮しているのです。 それでも、このような愛の状態は何か別のもの、つまり高次の自己との間に起こる真の愛の象徴なのです。愛にある状態は、現在に存在する状態のかすかなエコーなのです。現在に存在する状態には、願望の対象である、最愛の者の美しさとの柔らかで傷つきやすい出会いがはらまれています。そしてこの出会いにおいて、愛する者が最愛の者に初めて触れると、再会する願望、達成されていない情念から完全なる統合に向けて再び旅に出る願望を再燃させるのです。願望こそが、愛する者が持てるすべてなのです。それ以外の関心、興味、魅力はすべて消え失せ、この願望に飲み込まれて、愛する者は苦行者となって低次の機能をはぎ取られるのです。愛する者の熱望によって明らかになるのは、人間存在はこの合一なしには不完全であるという点です。しかし、それでも愛する者にとって、それは重要ではありません。最愛の者に到るとき、愛する者は人間の領域に存在することを止めます。 スーフィの詩と哲学は、愛する者と最愛の者について豊かな表現にあふれています。スクール、意識的な宗教、そして秘教的な伝統は、生きること、意識的な瞬間、さらに人間が存在する唯一の目的と理由がこれであるという理解へ向けた熱意を促します。彼らの務めは、最愛の者との永続する出会いのために信者を準備すること、瞬間を愛する者を生み出すことにあります。 関連した引用
「信仰とは何か?切望し、到達することである。」
「そして最後の願望とは、人の姿で神となることである。」
「もし愛する者が愛のみで満足したなら、最愛の者が近づいてくる。」
「真に愛する者が愛せるのは一つのものだけである。」
「神のみをあなたの願望としなさい。神のみが永遠に生き、決して死なないのだから。」
「この世の誰も何かを求めている。私には最愛の者の口づけ以外に望むものはない。」
「願望はすべての美徳の根本である。」
「もし合一を探しているのなら、切望の庭に入らねばならない。」 |
リザ・アバッシのペルシャ絵画、レイラと彼女の恋人マジヌーンより、「私はこれらの壁、レイラの壁を通過し、この壁、あの壁にキスをする。それは私の心を奪った家の愛ではなく、内に住まう者の愛である。」 フェローシップ オブ フレンズの新しいWebサイト
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